瘤(こぶ)取りの神として信仰を集める「猿丸さん」猿丸神社公式サイト

瘤(こぶ)取りの神「猿丸さん」

「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」の歌で 有名な猿丸大夫(さるまるだゆう)は古来、歌道の神として崇められ、その徳を慕う多くの文人墨客がこの地を訪ねています。また、近世に入ってからは、瘤・出来物や身体の腫物の病気を癒す霊験が あるとして、"こぶ取りの神"更には"癌封じの神"と篤く信仰されるようになりました。  今日では、南山城地方を中心に遠方よりも広く篤く信仰を集め、 家内安全・無病息災・病気平癒、交通安全、厄除け、また学業・ 受験の守護神として、親しみを込めて"猿丸さん"の呼称で信仰されて、毎月13日の月次祭には多くの人々の参詣で賑わいます。  >>祭日について


御祭神について

御祭神 猿丸大夫(さるまるだゆう)
出生来歴については不詳ですが、『古今和歌集』の「真名序」にその名がみえ、奈良時代末期から平安時代初期にかけての歌人とされ、天武天皇の皇子・弓削皇子、柿本人麻呂の世をしのぶ名、その他諸説があります。 平安時代中期には、藤原公任によって三十六歌仙の一人に数えられ、その後は藤原定家の『小倉百人一首』にも撰ばれて広く世に知られるようになりました。

御由緒

平安時代の末期、山城国綴喜郡"曾束荘"(現在の滋賀県大津市大石曽束町)に猿丸大夫の墓があったとされ、山の境界争論により、江戸時代初期にほぼ現在地に近い場所に遷し祀ったものと思われ、その霊廟に神社を創建したのが始まりです。 鎌倉時代前期の歌人・鴨長明は『無名抄』に、「田上のしもの曽束といふ所に、猿丸大夫の墓があり、庄のさかひにて、そこの券に書きのせたれば、みな知るところなり」と書き留めています。 神社に伝わる絵馬(正保2年=1645)には、禅定寺地区の氏子中が社殿を建立したとあります。
その頃、当社を参拝した伏見・深草住の日蓮宗高僧・元政上人は、「有猿丸祠。此亦大夫遊處之地。而村民奉祀也」『扶桑隠逸伝』と書き残しています。
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